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海神(わだつみ)とは?
こだわり抜いた干物づくりの物語
「干物」というと、どこか昔ながらの味を思い浮かべるかもしれません。
しかし、一口食べた瞬間に「こんな干物、食べたことがない!」と感動する食べ物だとしたら——?
それが私たち、海神(わだつみ)の干物です。
ふっくらとした魚の身、じゅわっと広がる旨み、そして絶妙な塩加減。
この味を生み出すまでには、試行錯誤を重ねた職人たちの挑戦 がありました。
そんな海神の干物づくりへのこだわりを少しだけご紹介します。

(左から鈴木惇平氏、石井英樹氏、山下祐介氏)
「誰もがおいしいと感動する干物を作りたい」— 創業者・石井英樹の決意
海神の創業者「石井英樹」は、干物づくり一筋の職人でした。
20年間、干物店で修行を積みながら、「どうすればもっとおいしい干物が作れるのか?」と考え続けていました。
— 「素材の良さを活かすには、どうしたらいい?」
— 「塩加減や干し時間、温度管理はこれで最適か?」
そんな問いを繰り返しながら、ひたすら干物と向き合ってきました。
しかし、会社の方針などの制約がある中で、思い通りの干物を作るのは難しい。
「自分が本当に納得できる干物を作りたい」
「誰もがおいしいと感動する干物を作りたい」
そう決意した石井は、独立し 「海風干物店」 を立ち上げます。
ここから、「一切の妥協を許さない干物づくり」が始まったのです。
シマホッケへの情熱—30年の歩みと信頼の積み重ね

なぜ、シマホッケに特化しているのか——。
その答えは、単なる食材へのこだわりにとどまりません。
シマホッケには、作り方ひとつでその味が大きく変わるという奥深さがあります。
そして、原料の仕入れ時期によって、その良し悪しがはっきりと現れ、他の魚とは一線を画す差別化が可能なのです。
これこそが、シマホッケに込められた真の価値。
その魅力に取りつかれたのは、多くの消費者も同じでした。
そのおいしさは瞬く間に評判を呼び、消費者からの信頼は厚くなる一方。
ですが、質の良いシマホッケを仕入れるには、容易な道ではありませんでした。
約30年前、初めてシマホッケに携わったとき、仕入れの難しさに直面しました。
そのころは何度も仕入れに失敗し、思うように良質なシマホッケを手に入れることができなかったのです。
しかし、石井は諦めませんでした。
—「いつか必ず、最高のシマホッケを手に入れる」
そう心に誓いながら、彼は時期や漁獲場所を学び、徐々にその精度を高めていきました。
年月が流れ、次第に仕入れ量が増え、輸入商社とのやり取りが頻繁に行われるようになるとともに、次第に精度の高い情報が手に入るように。
そして、ついに石井は理想的なシマホッケを仕入れるための足場を固めることができたのです。
その過程で、彼は常に約束を守り、一歩一歩信頼を積み重ねていきました。
その努力が実を結び、いまではその信頼関係は揺るぎないものとなったのです。
30年の歳月の中で、石井は60~70万トンものシマホッケの仕入れに携わってきました。
その背後には、無数の挑戦と失敗、そして信頼を積み重ねてきた年月がありましたが、シマホッケへの情熱とこだわりが、彼をここまで導いてきたのです。
そして、いまもなお、最高のシマホッケをお客様へ届けるために、彼の歩みは止まることがありません。
運命を変えた出会い—「寿水産」との協力
理想の干物を追求する中で、もう一つの大きな転機がありました。
市場での出会い、それが鮮魚の生処理技術に長けた「寿水産」の代表・真木磐夫。
寿水産は、魚のエラや内臓を丁寧に処理し、鮮度を保つ技術に優れていました。
—「この技術があれば、より品質の高い干物が作れる」
石井はそう確信し、業務提携を持ちかけます。 しかし、真木は簡単には首を縦に振りませんでした。
「労働力が足りない」
「新しい取り組みには不安がある」
現実的な課題が山積みだったのです。
それでも石井は諦めませんでした。
何度も足を運び、3〜4年もの間説得を続け、加工のノウハウを共有しながら徐々に信頼関係を築いていきました。
そしてついに、平成22年4月、「海風干物店」と「寿水産」が手を取り合い、最高のシマホッケづくりが始まったのです。
海神の誕生—東日本大震災を乗り越えて

石井の人生は、常に海とともにありました。
海の恵みに感謝し、干物作りに情熱を注いできましたが、震災という試練がその道を大きく変えることになります。
福島という地名だけで風評被害が広がり、取引先は次々と離れていきました。
「福島のものは買えない」
それにより仕事はゼロとなり、事業は存続の危機に直面します。
「ここで終わらせるわけにはいかない」
石井と従業員たちは心が折れそうになりながらも、一丸となり少しずつ会社を支え続けました。
そして震災から6年後、2つの会社が合併し、新たに「海神」が誕生したのです。
その誓いはひとつ。
「もう一度、福島から最高の干物を届ける」
その強い想いを胸に——。
「海神」の由来—水を司る神の名のもとに

海神の名は、海と水を司る神に由来します。
石井は海の恵みを最大限に活かすため、何度も試行錯誤を重ね、最高の干物を作り続けました。
そして、震災の影響もあり新潟県に「新潟海音(にいがたかいおん)」という新たな拠点を築き、さらに他の加工会社との合併を果たし、進化を遂げました。
その過程で、石井は気づきます。
「俺たちのものづくりは、もはやただの商売ではない。」
海とともに歩み、雨を受け入れ、水の恵みを活かす。
それこそが、まさに海や水を司る神のような仕事だと。
こうして、「海神」が誕生したのです。
ただの干物ではなく、ただの魚ではない。
「海とともに生きる者として、最高の一品を生み出し続ける」という誓いが、この名に込められているのです。
進化し続ける「海神」の干物
震災を乗り越えたいまも、海神は成長を続けています。
おいしい干物を作るのは当たり前。
さらに海産物の消費減少に対応するため、新たな商品の開発にも力を入れています。
何度も試作を繰り返し、社員全員が納得したものしか世に出さない——。
その姿勢は、創業当時から変わりません。
私たちが目指すのは、「食べた瞬間に笑顔になる干物」。
— 「シマホッケって、こんなにおいしかったんだ」
— 「また食べたくなる」
そう感じてもらえる干物を、これからも届けていきます。
もし、「海神の干物、食べてみたい」と思っていただけたなら——。
それは、私たちにとって何よりの喜びです。
